2014/05/10看護の日・看護週間
平成26年度「看護の日のつどい」講演会 鈴木ひとみさん『車いすからの出発(たびだち)』
●講演 『車いすからの出発(たびだち)』
~ファッションモデルより車いすの今が幸せに思う理由~
バリアフリーコンサルタント 元ミス・インターナショナル準日本代表 鈴木 ひとみ 氏
鈴木ひとみさんは、1981年のミス・インターナショナル準日本代表に選ばれ、ファッションモデルとしてご活躍されていました。1984年、仕事から帰る途中、プライベートでも結婚式を待つばかりの幸せな日々を、一瞬の交通事故が奪っていきました。
鈴木さんは、頸髄を損傷し下半身の自由を失いました。それは、モデルという仕事の夢はもちろん、22歳の女性としての幸せを失うことを意味しました。
病室のベッドで頭部を牽引され天井を見続ける日々。
主治医より言われた言葉は、「ひとみちゃん、たぶん君の脚は動かないだろう」
鈴木さんは絶望し「こんな身体で生きていたって仕方ない」「リハビリをして動かないことを確認したら死のう」…
しかし、始まったリハビリは、動かない脚には何もせず、動く手をどれだけ鍛えるかというもの。
もしかしたら、脚が動くようになるかもしれない…というわずかな希望も薄れていきました。
●彼(現ご主人)からの手紙(一部)を紹介●
とりあえず5年いや3年でも頑張ってみようよ。
それでも頑張れなくなったら、生きることに疲れたら、そのときは一緒に死ねばいい。
目標1985年春
そこには、温かい愛情あふれる支えがありました。
手紙をきっかけに生きる決意をした鈴木さんは、がむしゃらにリハビリに取り組み、身体障害者スポーツ大会に参加できるまでになり、予定より遅れること1年で結婚式を迎えることとなりました。
講演の中で、苦しいリハビリの中でも嬉しかったことに、『自分でトイレに行けたこと』を挙げられました。
トイレ移乗はリハビリではできず「止めましょう」と言われていたが、ある看護師が「(自分が)あいている時間にリハビリしましょう」とS字フックを2個買ってきてくれリハビリを行ったそうです。
自分でトイレに行けたということは、一番の自信につながったと話されました。
その後も車いす陸上の世界大会で金メダル獲得、アテネパラリンピック(射撃)に出場。
現在は、バリアフリーアドバイザーとして活躍中。
ユニバーサル・デザインは、健常者と障害者を分けるのではなく、みんなが便利に使える本当の意味でのバリアフリーであり、その普及活動について話されました。
講演の最後には「元気で積極的に生きてください」と話を締めくくられました。
講演を聞いた方からは、「感動しました。」「障害者との線引きはできないと思いました。」と感想をいただきました。
(広報出版委員 野田)